ヤスの独り言

「裏ブログ」 想いつれづれなるままに

朝の

ワイドショー的な番組をみていると


https://lin.ee/dvbte85?utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none


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堀ちえみさんのblogに
心無い投稿というか、
書き込みが


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嫌なら見なきゃいいし、
気に食わないならほっとけばいい。


なのに何故?

僕も現実的にSNSで。
別に"面白い"投稿をしようなんて全く思わない
所詮は自己満足なんだから。


リテラシーを高め。
気をつけながら

足元すくわれないようにネ

またしても…

なんでそんなことが…
そんなニュースが残念ながら後を絶たない。

1週間前、我が郷土である埼玉県。地元・川越の隣でもある所沢で。

今晩、お通夜が営まれるとのこと。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190712-00000242-nnn-soci



個人として思い当たることを。

きっと

「痛みを知らない人が多い」のだと。

言いかえると、怒られなれてない。悔しがる機会が少ない。ぶつかるチャンスが与えられ難い。

などなど。

僕も小学高学年からイジメを受けた時期がある。中学生の時もつらい目に遭ったことが


ただ、僕はその過去をよかったと思える。
社会人となってからも転びまくり。ついこの年末年始もひどい目に遭い、今なお苦しんでいる


でもきっと良い経験になるはず、後々振り返って


つい自分のことばかり書いてしまった…

が、

人はみんな強くないんですよ、きっと。
でも誰かに支え&支えられて生きているんであって、
決して人の命を軽んじてはならない。何より大切な【命(いのち)】というものをね。

加害者は一生、悔い、十字架を背負って、でも強く生きて欲しい。

この度、お亡くなりになった14歳の少年、心からご冥福をお祈りします。そしてご家族はじめご親族の方々に対しては心からお悔やみを。悔しくて仕方ない、それどころでないでしょう。

しかし、

今の世を、これからの世を、ある意味あらわす事件だと思います。

最近、人の注意に逆ギレする若者も少なくない為、むやみに何かをたしなめる等しないことが賢明な大人の選択だと聴いた。

しかし、本当にいいのか?
心配だ、人の心配をしている場合でないが


はたしてどうしたら
答えは、そう容易ではない…

久々の

投稿

こちらに別れを告げ
amebloへお引越しのつもりが、、

よくわからず、いまだ…


だもんで、書き慣れたyahooブログさん、サービス終了までもうしばらく、
こちらで、書きつづらせていただこうかな、と。


本日は、

毎年恒例の川越某所にて

からの云々


いずれにせよ、

僕自身のルーツ、

良い悪い別に、それは変わりない

ならば、


残りの人生、より大切にそこへの想いを育み云々

この気持ちがあれば、きっと例の企画もウマくいく


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さっ、

切り替えて、楽しく

https://youtu.be/dRRmM-CswLE

ブログ移行先

正直、迷いました。
このYaoo!ブログ自体が、「2代目」なわけですが、
(「初代」は数年つづった末、カラダを壊したのと共に闇に葬りました

実際、ココは「裏ブログ」であり

これまた「2代目」なameblo
コレがまた使いやすい、、もう「初代」のは10年以上つづっていましたから。

というわけで、、

本ブログの“お引越し”先は、

ameblo

Ameba blogにと



それまでの間、、そして今後とも

どうぞよろしくお願いいたします

残念

な記事をここ2、3回ほどは、かかせていただいた。
本当は決して書きたくないし、あまりネガティブなニュースについて
事実を100%知らない、理解していない者がネットで云々、
僕は好きでない、というかやりたくはないことだが

が、
ブログを書いているということで、
恐れずにそこは真っ向から自らの考えを書きたいと思う。


まず書いた事故のこと。
そして、ゴミのこと。

さらには起きてしまった事件のこと。

川崎。
そして、うちからも遠くはない練馬区早宮。

川崎があまりに大きすぎるが・・
悲しみも。

スマホをみると日に1回はこれらの事件に関する記事を

本当は読みたくないが、
少しでも事実その他を知ろうとスマホ画面をタップしてしまう


そこで(川崎の)事件から1週間

僕は個人的に最も近い考えの人。
それが橋下徹さんの。

まず、日本社会はあのような犯罪、身勝手な考えその他を絶対に許さない。
その姿勢をまず。
被害者とそのご家族、関係者方に心からの哀悼を。これがまずだ

とにかく、
ご冥福をお祈りする、ただただ。
そして心で祈る、祈り続ける

それからだ。

次に僕自身について書いてみようと思う。
両親は今も健在だ。
相対的に複雑な家庭環境でもなければ経済的には決して苦労していない。
たしかに就職氷河期だったが、決して就職に失敗したわけでもないが、

間違いなく「同類項」だ。

しかし、それは僕が選択した結果の現実であり、
これは社会のせいでもましては親のせいでも誰のせいでもない。
絶対に間違ってはいけない。
すべて、自分自身の選択の結果なんだ。

ところで、僕の学生時代
今も尾を引いているのだが、社会人生活20年は、
学生時代の反動から誤った判断・選択をし続けてしまった感はあるし、
そこは自ら省みているところ

大学生時代、穿った考えがあり、身勝手な行動もしてきた。
高校時代、人に合わせることが嫌で、孤独な想いもしていた。
それも逆算すると中学時代かな。
学校に行きたくない時期があった。
たしかに間違ったことをしたこともあったと思う。
しかし、具体的に書かないが、かなり辛いことも経験した。
学校はコワいところだったんだ・・
みんなの笑い声を疎ましく感じた時期もあった。

等々

何が言いたいか、書きたいか、

それは、家庭ももちろんだが、

【学校生活】

なんですよ

そこで共感したのが、
太田光さんの

「何か1つ」

人と比べるでもない。
魂が動く、というか胸が躍ることを見つけて、
見つかれば、なんとなくでいいから。

一歩、半歩、、踏み出せれば
6月2日(日)放送の『ザ・ノンフィクション』を見てさらにあらためて思った

人間、人生、、やっぱり "きっかけ" なのかなぁ、と。



更に僕について書きます。
2010年、うつで会社を事実上のクビ
それから闇雲にがんばったけど、2017年2度目の
コレがキツかった・・

まさに寝ていたくもない、起きていたくもない、、
過去の選択すべてを悔い続け、
自分の存在そのものを肯定できない時期が続きました。
メンタルが崩れると、ほとんどが負の感情を内に向けるのだと思う。

しかし、その感情が怒りとなり、さらにそれが外に向く。
これが事件につながる。

僕自身も1つ間違えれば、というわけだったのです。

また、話は【学校】に戻るけれど

小中学生、また高校生も
特に今はネット、スマホ、、とにかくコレがえげつない。

僕たちのころ以上にそこでのネガティブな云々は数知れないはず。

僕も1人の親として、2人の子をもつ親として、
それだけではない、地域に暮らす大人としても.etc

様々な責任の中、、何かできることがあれば、と

探りつつ、、そしてこのブログもつづっていかなければならないな、と
そう思ったので、この記事を書きました。
ほとんど人の目に触れぬブログだけれども。


最後に僕自身も
長いものに巻かれろ的に生きるのではなく。
特に【学校】時代、、多くの同窓生と交流するのも大切だけれど、
1人の友人こそ大切にしたい。
と、そう思ったのであります

以上。
最後までお読みいただいた方、ありがとうございます。



こういった記事は今後は書かないことと思います。
また元のテンションでいきたいと思います



こちらにかいてしまいましたが…つい
https://ameblo.jp/yaushirosan/entry-12470802051.html

近所の公園

どこもそうなのかもしれない。

昨日は夕方、し?に行くと

地べたに座って、中には寝転び、
アレは中学男女だろう。

じゃなくて、

スマホいじってるのか?だべってんのか?



わざとらしくではないが、

ペットボトルを十数コ。
もちろん、すべて彼らというわけではない。
が、

彼ら、

わかってるんだよね、ペットボトルを捨ててること、自覚しているんだ。

女の子の前で、少し良くなくないことをする事で、

それがカッコ良いとは思ってないだろうが、

そういう年ごろなのかな

近所のおじさんとして、
ちょっと注意深く見守り




場合によっては、
教えてあげよう。



おじさんも昔はねって、できるだけ目線を合わせてね


いつか一緒にできたらな。

https://youtu.be/e5nCoyhBNBg


まだまだ負けません?よ



で、

遅い時間に
レシートでわかる


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300mトラック5周

1.500mをゆっくり走ろうとしたが、
気が失せてしまった

わざわざラベルをはがしてまで。
そしてそのまま。

近くのコンビニまで捨てに行ったが、

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こういった小さいことが、

あらゆることの発端なんだよね、


人に迷惑をかけている感覚がないという。

ながらスマホしかり





スポーツの力に

頼む、僕も何かできないか.etc


少し考えたいと、そう思った